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2008 02,12 17:43 |
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姉妹の長女として生まれた雅子さんですが、高校卒業後『必ずあとを継ぐからいかせてほしい』と京都の大学に進学。しかし卒業後はそのまま医療機関の栄養士として就職し、仕事に民主運動にがんばっていたそうです。都合により退職し八幡に戻ったとき、父親から説得され旅館を継ぐために旅館業に従事することになりました。(5代目となる夫は京都にいた頃に捕まえたそうです)
『茶室的なイメージ』という部屋は統一感ある内装で、和紙のあかりで室内を灯すなど、とても落ち着いた雰囲気となっており、中庭や外庭が望むことができるようになっています。
また郡上踊りで有名な郡上八幡。7月上旬から9月初旬の約2カ月の間、町内各地で踊りが繰り広げられますが、8月13日~16日の4日間は夜を徹して踊り明かす徹夜踊りが開催されます。中嶋屋旅館はその徹夜踊りをまん前でみることができる最古で唯一の旅館。とことん徹夜踊りを楽しみたい方はオススメです。が、ほとんどリピーターで予約が埋まってしまい、新規の方がなかなか泊まることができないのが、女将さんのうれしい悩み。半年ぐらい前から予約受付をするそうなので、興味ある方は要チェックです。
明治5年創業の中嶋屋旅館。当時、八幡町は白鳥や明宝、和良村などに出かけるための交通の要衝となっており、八幡で滞在しながら、各方面へ仕事に出かけるといったような具合で中嶋屋旅館も今でいうビジネスホテルのような旅館として営業していました。
そんな中、高山の料亭で修業を積んだ先代である父が旅館業を継承。そのころはまだまだ数少い料理旅館としての中嶋屋をスタートしました。(その頃は戦後まもない頃で食糧が不足し、料理屋が少なかった)
料理のおいしい旅館として、多くの観光客もあつまり、テレビや雑誌でもたびたび取り上げられました。 その後、中嶋屋の味を先代から伝授された夫が跡を引き継ぐことに。一線から退いた先代はその後は趣味に没頭。父から夫への事業継承はスムーズにすすんだそうです。帳簿も雅子さんの手へ。『帳簿を握るようになり経営の状態がよくわかるようになり、一喜一憂するのでなく、年間を通して商売をみれるようになった』と雅子さん。
先代の頃は商売上の顧客対象でないからと、町内の活動にはあまり参加しなかったそうですが、5代目は『町内全体がよくなってこそ*自分たちもよくなる。共存共栄が大事だ』と、積極的に町内活動に参加。結果、地元の宴会の申し込みも増えるようになったそうです。
事業継承がスムーズに進んだ中嶋屋旅館でしたが、その後大変残念な事態が起こりました。
一家の大黒柱であり、中嶋屋旅館の料理長でもあった夫が4年前に病気で亡くなったのです。
雅子さんは6代目となる長女と今後のことを前向きに話し合います。そして今現在の力量でも営業を続けることができるようにと旅館としての方向を変えることを決意しました。
宿泊スタイルの中心をB&B(朝食だけの片泊まり)に切り替え、一般的な1泊2食の場合は、夕食を懇意の料理屋から取り寄せ『祇園のお茶屋』形式をとることに。料理のおいしい旅館から宿屋としての魅力を高めた『本物の宿屋』を目指すことにしました。(八幡では町が小さく郷土料理などの料理屋も多い。食べ歩きもできるため、最近では人気の宿泊スタイルとなってきている。) ※朝食は女将お手製の郷土料理が楽しめ、しし鍋など夕食についても中嶋屋伝統の味を引き継いでいるものもあります。 ←風呂は木の風呂と石の風呂の2つ。 すべて貸切。 まわりを気にせず、ゆっくりとくろげます。 部屋の片隅には、案内とあわせ便箋が数枚。聞くと「普段の喧騒を忘れ、たまにはゆっくり手紙でも書いてほしい」と娘さんのアイデア。
その他にも中嶋屋文庫というものを用意したり、寝具にこだわったり、本物志向の小物を用意したりで『ゆったり、ほっこり、気軽にくつろいでほしい』という想いが、あちこちで感じることができます。 東海北陸道の開通や業界全体の落ち込みなど、旅館業も厳しい状況にありますが、6代目となる長女の若い感性を生かしながら商売を頑張っている中嶋屋旅館。お客さんと会話ができるように幅広い知識、教養を身につけるための勉強も熱心にしています。2代目からの教えである『親切・真心・丁寧』を心がけ、八幡に訪れた旅行者に気軽にくつろげる宿を提供しています。 郡上八幡に遊びにこられた際には、ぜひ中嶋屋旅館でご一泊ください。ゆったりほっこりすること間違いなしです。
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